2020年07月27日
2020年07月22日
2020年07月01日
和邇学区 チョット史跡めぐり(パート3)
チョット散策気分で和邇学区内の史跡(パート3)を紹介します。
今回は国道161号線(湖西道路)の西側に位置する栗原の棚田と集落について紹介します。
(本資料は「和邇地区民生委員児童委員協議会」よりご提供いただきました。)
◇栗原の棚田と集落
栗原は比良山系の南端、標高二〇〇メートルに位置する小高い丘陵地に形成された集落で、田畑が開墾され集落が形づくられたのは鎌倉時代のことです。

明治十三年刊行の県物産誌によると、八十七戸四百四十八人・田地八十七町五反・畑地四町六反・牛五十六頭と記録され、製茶製造は一軒につき四十斤を生産していました。

栗原は、山と水と人との関わりを密接にし、神社の祭礼などを通して意識の結束を強め、地域固有の文化を育み、自然と人との距離を大切にしながら、精神に支えられた文化を引き継いでいます。
水分神社奥の権現様
今回は国道161号線(湖西道路)の西側に位置する栗原の棚田と集落について紹介します。
(本資料は「和邇地区民生委員児童委員協議会」よりご提供いただきました。)
栗原は比良山系の南端、標高二〇〇メートルに位置する小高い丘陵地に形成された集落で、田畑が開墾され集落が形づくられたのは鎌倉時代のことです。
明治十三年刊行の県物産誌によると、八十七戸四百四十八人・田地八十七町五反・畑地四町六反・牛五十六頭と記録され、製茶製造は一軒につき四十斤を生産していました。
栗原は、山と水と人との関わりを密接にし、神社の祭礼などを通して意識の結束を強め、地域固有の文化を育み、自然と人との距離を大切にしながら、精神に支えられた文化を引き継いでいます。
水分神社奥の権現様