2020年05月08日
@@和邇学区 チョット史跡めぐり@@
今回は、チョット散策気分で和邇学区内の史跡を紹介します。今後も時々紹介していきます。初回は小野地区に鎮座されている小野神社です。
(本資料は「和邇地区民生委員児童委員協議会」よりご提供いただきました。)


祭神は、明治時代にできた『小野神社明細帳』によると、第五代天皇孝昭天皇の第一皇子、天足彦国押人命とその七世の孫、米餅搗大使主命である。米餅搗大使主命は、応神天皇の頃に日本で最初に餅をついた、餅作りの始祖といわれ現在では、お菓子の神様として信仰を集めている。

この神社は、小野妹子・小野篁・小野道風などを生んだ古代の名族小野氏の氏神社である。推古天皇の代に小野妹子が、先祖を祀って創建したと伝える。平安時代、小野篁(802~852)のときに、同族が小野神社に集まって氏神を祀ったことは、『続日本後紀』に詳しく載っている。

大和朝廷成立以前この地において、今の大阪府・京都府・奈良県・三重県・愛知県・滋賀県の広い地域を統治されていた名族であり、諸国に多い小野の地名・氏族の発祥地・祖神でもある。
(境内掲示及び小野神社ホームページ資料より引用)
(本資料は「和邇地区民生委員児童委員協議会」よりご提供いただきました。)
小野神社の歴史
小野神社は、延長5年(927)完成の『延喜式』神名帳に「小野神社二座名神大」とあり、日吉神社と並ぶ官幣大社であった。現在の社殿は、江戸時代に再建されたと伝えられている。祭神は、明治時代にできた『小野神社明細帳』によると、第五代天皇孝昭天皇の第一皇子、天足彦国押人命とその七世の孫、米餅搗大使主命である。米餅搗大使主命は、応神天皇の頃に日本で最初に餅をついた、餅作りの始祖といわれ現在では、お菓子の神様として信仰を集めている。
この神社は、小野妹子・小野篁・小野道風などを生んだ古代の名族小野氏の氏神社である。推古天皇の代に小野妹子が、先祖を祀って創建したと伝える。平安時代、小野篁(802~852)のときに、同族が小野神社に集まって氏神を祀ったことは、『続日本後紀』に詳しく載っている。
大和朝廷成立以前この地において、今の大阪府・京都府・奈良県・三重県・愛知県・滋賀県の広い地域を統治されていた名族であり、諸国に多い小野の地名・氏族の発祥地・祖神でもある。
(境内掲示及び小野神社ホームページ資料より引用)