2020年06月03日
@@和邇学区 チョット史跡めぐり(パート2)@@
前回につづき、チョット散策気分で和邇学区内の史跡(パート2)を紹介します。
今回は県道311号線と大津市道1105号線の交差点に鎮座する『榎』顕彰碑の紹介です。
(本資料は「和邇地区民生委員児童委員協議会」よりご提供いただきました。)
榎の宿(『榎』顕彰碑)
十字路の真ん中に、石垣の上に注連縄が巻かれ『榎』と彫られた大きな石。この地は古来から北陸道・和邇の宿場として湖西の交通の要でした。江戸時代の徳川幕府は、全国の街道に一里塚を設けるように指示、ここの一里塚にも榎の木を植え、「榎の宿」と呼ばれ、また、この榎は「天皇神社」ご神木として噂宗されていましたが、樹齢360年余で朽ち、昭和43 年に神木榎と榎の宿を偲ぶ有志により「榎の顕彰碑」として建立されたとのことです。

左の写真は、「天皇神社」ご神木として噂宗されていた当時の「榎の木」です。
同交差点の南側から北方面(和邇駅方向)を望む。
今回は県道311号線と大津市道1105号線の交差点に鎮座する『榎』顕彰碑の紹介です。
(本資料は「和邇地区民生委員児童委員協議会」よりご提供いただきました。)
十字路の真ん中に、石垣の上に注連縄が巻かれ『榎』と彫られた大きな石。この地は古来から北陸道・和邇の宿場として湖西の交通の要でした。江戸時代の徳川幕府は、全国の街道に一里塚を設けるように指示、ここの一里塚にも榎の木を植え、「榎の宿」と呼ばれ、また、この榎は「天皇神社」ご神木として噂宗されていましたが、樹齢360年余で朽ち、昭和43 年に神木榎と榎の宿を偲ぶ有志により「榎の顕彰碑」として建立されたとのことです。
左の写真は、「天皇神社」ご神木として噂宗されていた当時の「榎の木」です。
同交差点の南側から北方面(和邇駅方向)を望む。
Posted by わにまちづくり協議会 at 11:17
│史跡